恐ろし渕渓谷について

東洋のロダンと称された朝倉文夫彫塑家が、少年時代に過ごした市万田川の源流近くに、豊後国志の神角寺山の条に「山の半ば泉吐く百尺簾の如し」と記された滝〝恐ろし渕"があり下流へと〝恐ろし渕渓谷“が続いている。

急峻な山肌の谷間を雑木が生い茂り、長年風雪に耐えた岩肌の隙間を縫うように、時にぶつかり白い飛沫を飛び散らして、一本のほつれた糸となり駆け落ちる渓流。

朝倉文夫少年が時折ここを訪れ、芸術の心眼を磨いたであろうことは、後年「私の作品のどれにもその部分のどこかに故郷の岩や石から受けた印象が生かされている」と語った事や、東京谷中の自宅兼アトリエ兼塾に〝五典の水庭"を創作したことからもうかがえます。